リレー日記
思い出
投稿日時:2013/12/30(月) 18:28
最後のリレー日記なので、自分の大学ラグビー生活を振り返ります。
1、2年の時はいろいろなポジションをやりました。高校3年間で3番しかやったことなかった僕にとっては日々勉強でした。
最初の試合は東工大戦でした。何の練習もなく1番で出てテンパりました。
盛大にスローフォワードした記憶があります。
次の試合は和光戦でフランカー、その次は武大でロック。
いずれもやったことがないポジションにもかかわらず、試合当日に、試合出場を知らされたので、かなり焦ったのを覚えています。
高校の頃は「ラグビーはスクラムが全てだ!」というわけのわからない固定観念にとらわれていたのですが、和光戦で初めてスクラムの脇について、ラグビーには他にも大切なことがあると知りました。
1年の合宿では、フッカーでした。フッカーも当然初めてでした。
フッカーをやることは確か合宿前最後の練習後のMTGで知らされたので、フッキングはぶっつけ本番でした。試合ではウッチーと喧嘩をしました。
合宿は、1年の頃が一番辛かったです。7泊8日の合宿でフル出場したのに加え、1年3人で8日間、毎日食事の時に一発芸をしました。
1年のリーグ戦では2と1でした。当時は試合に出たくて、練習の時、わざとキャプテンの前でナイスタックルかますといったアピールをよくしていました。
1年のリーグ戦、5-102で負けた順天戦の前日、アメリカに行ったまま音信不通になった創君を捜し出そうと、荻原さんナリシン僕で探偵団を結成しました。
しかし、創君の家に行くも居留守を使われ、仕方なく東寺山のマックでマックシェイクを飲んでいたら、創君から連絡が入りました。結局彼は部活をやめてしまいました。
ちなみに創君は3年のリーグ戦の時に戻ってきました。ナリシン宮本僕で創君カムバック計画として飲みに誘いました。シメのなりたけで、味噌らーめんの汁をどんぶり持ち上げて完飲した創君の姿を今でも忘れないよ。
ちょうどその頃、僕は期末試験の過去問をゲットしようと、某ネット巨大掲示板の千葉大のスレを見ていたのですが、そこに千葉大ぼっちスレみたいなのがありました。
何これ面白いとか思って覗いてみると、「ラグビーサークルを立ち上げませんか?」みたいなレスを発見。内容を見てみると、ご丁寧にフリーアドレスもはってありました。
ものは試しで、僕もフリーアドレスを作り、その人とコンタクトを試みたところ、その人も案外本気でラグビーやりたいらしくて、でもラグビー部の練習についていく自信がないらしい。
あの手この手で勧誘し、なんとかその人を入部させることに成功させました。
その人こそ、我らが宮本君です。
そう考えるとほんと昇の入部は奇跡だよね。一期一会が身に沁みます。
一時期、ガザルの店員も同期で部に所属していたのですが、残念ながら途中でやめてしまいました。
あとなんだかんだで4年生で4年間しっかり部に在籍したのはナリシンだけだったね。お疲れさま。セイラ行こうぜ。
2年生になり、6、7番をやるようになりました。今より15キロくらい軽かったので。
2年の合宿を終えて2、3日後、アメリカに旅立ちました。
帰国し、部活に戻ったのが3年の6月末。
初戦は7月頭の農工大。前半は相手チームの助っ人で出ました。後半は千葉大の1番。
いつの間にかチームに大野とか岡村が加わっていて、このままFLじゃ試合に出られないと危機感を覚え、フッカーのレギュラーを狙うことにしました。
でも、矢内や朱里より走れないしフィールドプレーが下手でした。どこかで勝てないかと思っていたところ、チーム事情もあって、スローワーをやることに決めました。
まさかラグビー6年目、大学3年でスローワーに挑戦することになるとは思ってもみませんでしたが、試合のビデオを見たりして独学で練習しました。とにかく試合に出ようと必死でした。
今振り返ると1年のリーグ戦の時と、帰国後の3年のリーグ戦の時、なんとか試合に出ようと必死だった頃が一番充実していたかもしれません。
3年のリーグ戦ではフッカー、途中から3番で出ました。でも結局スローで最後まで足を引っ張ってしまいました。
4年になってリーダー的なポジションになりました。自分には向いていないのもわかってたし、どっちかというと冗談とかいいながら自由に練習とかしたいタイプだったので、苦痛以外の何物でもありませんでした。でも今振り返るといい経験が出来たと思います。周りには迷惑かけたけど。
4年になってからはフッカーと3番。むしろ後輩がうまかったのでそこ以外では出られませんでした。
3年の時の入替戦はわずか1点差で負けたのですが、
今シーズンは、うまい1年が入ってきたりして、去年よりもFWの層が厚かったし、個人的には普通にやってれば去年より強いチームが作れたと思います。
結果、入替戦で完敗したのは、リーダーの責任だったかなと思います。
4年で一番楽しかったのは、夏に練習後チームわくわくでわくわくさんに行ったことです。他人うどん→かき氷→ダーツの流れは最高でした。
大学のラグビー生活での後悔をいえば、高校の頃と同じ過ちを犯してしまったことです。
最後の試合、今年の入替戦で泣けませんでした。完敗すぎて。
応援してくださった人に怒られるかもしれないけど、悔しい気持ちよりも、壁が高すぎて逆に清々しい気持ちでした。
去年の1点差で負けた試合のほうがよっぽど悔しかったです。
高校の時の気持ちがデジャヴのようによみがえりました。
高校の時も、2年の時はラスト3分まで5-7の接戦で負けたこともあり、とても悔しくて泣きました。
でも、高校3年最後の試合は、今年こそシードとれるかと期待されていたにもかかわらず、ふたを開けてみたら、前半立て続けに3トライとられ完敗。悔しさが無い、泣けない試合でした。
最後の試合があまりにあっけなくて、こんな中途半端な気持ちで終われないから、大学でその気持ちを晴らそうと思ったのが、大学でラグビーを続けた一つの理由でしたが、結局高校の頃とまったく同じことをしてしまいました。
でもこれは、自分の気持ちの甘さが出た結果なので、この失敗を今後の糧にしていきたいと思います。
最後のリレー日記は他人に見せるものというより自分満足になってしまいましたが、勘弁してください。
今まで、応援してくださった皆様ありがとうございました。
幸い、僕は千葉の企業に就職するので、基本的に千葉にはいます。今後も陰ながら千葉大ラグビー部を支えたいと思います。
最後に、現役のみんな、武蔵家はいつまでもラグビー部の味方です。辛いときや悲しいとき、試合前等は、武蔵家で濃いめ多めを食べるといいと思います。
次は高木くん。
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